【ポストコンサル事例特集】コンサルタントから事業会社のトップへ:株式会社シカゴ・コンサルティング代表取締役 齋藤廣達氏

齋藤廣達氏プロフィール

コンサルタントなら誰もが一度は考えるであろう「いつかは事業会社へ」という道。
今回は、その中でもコンサルティングファームから事業会社のトップへ、ポストコンサル理想の転身を遂げた齋藤廣達(さいとう こうたつ)さんにお話を伺いました。

齋藤さんからはご自身の経歴や転職の経緯に加え、現職コンサルタントへのアドバイスとして

  • 事業会社を狙うなら若いうちからアンテナを張ってオファーを掴みとれ
  • 収入ダウンは自分の将来への投資と思え
  • 「30代のうちに事業会社へ」この判断がキャリアの選択肢を広げる**

という3つのポイントをあげていただきました。

具体的にはどういうことなのか、詳しくはインタビューの全容をご覧ください。


外資の石油会社からコンサルへ、そして金融へ。
外資キャリアを着実に辿った齋藤氏の判断軸に迫る。

齋藤廣達氏3 ――― 今回はポストコンサル事例ということでお話をお伺いするのですが、齋藤さんの場合コンサルの前に新卒で石油関係の事業会社に入社されているのですね。
学生時代からコンサル会社を志望していたわけではないのでしょうか。

齋藤(敬称略):
それをお話しするにはだいぶ時を遡らないといけないんですが(笑)、僕はそもそも就職してサラリーマンになるという発想が全くなかったんです。
20歳まではミュージシャンになるつもりでしたから(笑)。
いや、本当になるものだと思ってたんですよ。
そもそも物心ついた頃からモノを作るのが好きで、音楽やる以外にも文章を書いたりもしましたし。大学時代は4年間真面目に小説書いてましたしね。
で、就活の頃は「俺は物書きになるんだー」なんて思っていたりもして・・・そんなわけで思考回路が一般的な就職の方に向かなかったんです。
もちろん周りがみんな就職活動しますから、一応僕もOB訪問にはそれなりに参加しましたけどあまり深く考えてなくて。
結局エッソ石油に行ったのも、事業として海外が近かったからっていうのが一番の理由ですかね。海外に行きたいって思いはもともとあって、外資の石油会社ならいつか行けるかなーという安易な気持ちからでした。

――― なるほど。学生時代から既に異色ですね(笑)。そこからなぜコンサルへの道を?
齋藤:
きっかけはシカゴ大学でのMBA取得でした。
MBA取得者目当てに企業がリクルーティングに来るんですよ。特にコンサル系は名だたるファームがこぞって人を集めてました。
僕もそこでボストンコンサルティング(以下、「BCG」)やA.T.カーニーから声がかかって、それがいわゆる「コンサル」との初コンタクトでした。

――― そこで勧誘を受けてBCGに行ったわけですね。
齋藤:
実はオファーもらってから一度断ってるんですけどね。
そのときは金融を勉強したいと思ってて。もともと経歴が「石油」だけでは・・・という思いもあり、同じく石油会社から金融の道に進んだ元新生銀行会長の八城政基氏に倣って、BCGと同時に声をかけてくれていたシティバンクに行くつもりでした。エッソ・MBA・シティって、ロールモデルだった八城さんと同じ流れだったし。
ところが断った後もBCGからの誘いがなぜか強くて(笑)。元作家志望って珍しかったのかな。最終的にはシティバンクに「辞めたら行きます」とお断りを入れてコンサル業界に足を踏み入れることにした、という経緯です。

――― BCGはどうでしたか?
齋藤:
苦しかったけど楽しかったなあ。僕はいまだにBCG大好き人間ですからね。
すごく強烈に感じたのは、コンサルタントが「作りたい人」だってこと。
僕もある意味、文章書いたり曲作ったりっていうところでそうなんですけど、とにかくアウトプット志向。よく喋るしよく書く。放っておいてもどんどん考えを発散して、それを書き起こしてスライドに落として・・・っていうのが大好きで得意な人ばかりでした。
もちろん合う人・合わない人がいますが、出たり入ったりが激しいことも含めてすごく楽しかったです。でも僕自身はそこで例えば3、4年修行してプロマネになって・・・っていう道を描けるほど結果を残せてなかったし、1年半ほどでシティバンクに移りました。以前断ったときの仁義を斬る意味もあって。職探しをしてる時間もなかったから選択肢はシティバンクしかなかったのも事実ですしね。

――― なるほど。でもその後さらにまたコンサルに戻られたんですよね。
齋藤:
シティバンクでも花形の仕事をさせてもらって楽しかったんですけど、その頃はちょうど実は業界的にもいろいろトラブルがあった時期で。周りの人に色々相談したりしてた中でローランド・ベルガーからお誘いをいただいてコンサルに戻ることにしたんです。

――― 同じコンサルティングファームですが、BCGとローランド・ベルガーではやはり社風というか毛色は違うんでしょうか。
齋藤:
違いますね。
ローランド・ベルガーで特徴的なのは、トップが「現場力」にすごくこだわりを持っていたんです。「答えは現場にある」じゃないですが、企業再生と現場オペレーションの双方が揃ってこそ真のコンサルだ、と。僕がいた当時のベルガーは輝いてましたよ。もちろん、今もすごいファームであるのは言うまでもないですが。

――― 最終的にコンサル業界を出ようと思われたのは?
齋藤:
ローランド・ベルガーではシニアマネージャーに昇進して、パートナーまでの道も見えていたし、ファームの雰囲気も好きだったし、長くいようと思ってました。が、そんなときにBCG時代のお客様を通じてIPOを予定している事業会社があるからトップで参画してくれないか、という話をいただいたんです。年齢的には30代半ば頃の話でした。
既に射程圏内にあった「パートナー」の座も正直魅力的ではあったので迷ったんです。だって、「ローランド・ベルガーのパートナー」ってやっぱりかっこいい(笑)。収入面でも申し分ないですしね。
でも、最終的には事業会社の「トップ」という話だったからそっちに決められたんだと思います。これがナンバーツー、ナンバースリーでって話だったらそれほど惹かれなかったかもしれませんね。
あと、もうひとつはいざ動こうと思ったときにタイミング良くそういう案件がないと自分で動いてもなかなかいいところは見つからないということもあります。ましてや、「トップで」という話はそうそうありませんから。

パートナー昇進と事業会社への転身の間でタイミングを計る
コンサルタントの将来ビジョンと悪い癖

齋藤廣達氏1

――― 齋藤さんは最終的にポストコンサルで事業会社のトップになられて、今はご自身の会社も経営されているわけですが、もともと経営者になりたかったんでしょうか。
齋藤:
僕の場合は「結果として」ですね。
絶対経営者になってやんぞー!っていうのは頭になかったです。
でもコンサルタントって基本、ものすごく自意識過剰なんですよね。要はプライドが高くて負けん気が強くて、だから経営者にも「なりたい」というより「なれる」と思っている。
いろんな会社を見て問題解決して立て直すっていう成功体験を踏んできているので無理もないんですが、「会社のことは俺なんでもわかるぜ」って感じで鼻高々(笑)。
最初の数年間こそ苦労しますが、マネージャーにでもなってたら「俺天才」状態なわけです。僕はその悪しき典型例ですよ!

――― なるほど。でも確かに無理もないと思います。
ところでポストコンサル転職で事業会社へ移られる方も多いようですが、やっぱりコンサルタントの方は事業会社に行きたいと思っているものですか?

齋藤:
これも、「行きたい」というより「行ける」と思っていると思います。
もし事業会社に「行きたい」と思うとすれば、コンサルタントの「上がりポジション」を知っているからでしょうか。
50歳くらいまでコンサルタントの道を歩み続け、シニアパートナーともなれば外に出ようと思ってもいろんな意味で出られない。収入面でも生活レベルを相当落とすことになるし、事業会社側にもポストがないんです。
だから、行くならジュニアのうちに行った方がいいという認識は多分皆持ってます。

――― 逆に、コンサルタントの道を歩み続ける、つまりコンサルとして上のポストを目指していく志向はあまりないのでしょうか。
齋藤:
いや、一方でやっぱり「パートナー」というポジションには夢を抱いています。
「あと何年でパートナー」と事業会社にいくタイミングとの両睨みの発想ですね。

―――ジュニアのうちに出るか、または齋藤さんのような事例もあるわけですからもう少し考えるか、というところでしょうか。
齋藤:
うーん、僕の場合はタイミングの面では多少特殊かもしれないですね。
僕の場合は結果的に「社長」だから行ったわけで、でも社長の案件なんてそうそう来ないんです。タイミングを考えるなら、オファーされたポストがナンバーツーやナンバースリーの役員、事業部長クラスでも話が来れば行った方がいい。
コンサルタントの悪い癖は、コンサルタントの生活がずっと続くと思ってること。
実際にはパートナーになって売れなかったら2年でクビなわけですよ。しかもそこから慌ててどこかに行こうと思っても行った先では収入が1/5、1/10ということだってあり得ます。

――― それを知ってても動かない人は動かないものですか?
齋藤:
知ってますが、自分の身に降りかかるとは思ってないんです。
だって、「俺優秀」「俺天才」ですから。笑 そうでないとコンサルなんていう激務に耐えられない。僕の中にも、「俺俺」意識はいまだに色濃く残ってますよ。良い意味でも悪い意味でもね。

――― 動かない場合、まずはマネージャーということになるんでしょうか。マネージャーになれる人となれない人ってどこで差がつきますか?
齋藤:
多分、能力の差ではないですね。コンサルタントってみんな総じて頭いいですから。
強いて言うなら負けん気の強さと、ストレス耐性かな。
コンサル会社の中では結構な罵詈雑言も飛び交うんです。「お前、バカ?」などと平気で言われますから、免疫のない人はついてこれなかったり。
要はプライドを保って居続けるかどうかです。
だから、僕はコンサルファームのマネージャーやパートナークラスはプライドと自信が高いのが健全だと思ってます。

――― ではパートナーになって成功する人、しない人の違いって何でしょうか?
齋藤:
先ほども触れましたが、パートナーは売れるか売れないかの勝負なんです。「パートナー」というと華やかなイメージですが実は相当泥臭くて、セールスマンそのもの(笑)。日々駆けずり回って何千万円からの戦略プロジェクトやら業務改善プロジェクトを売っていくんです。それまでコンサルタント経験しかなかった人が突然営業マンやれと言われるんですから大変です。
ただ、マネージャー時代に安定した上客がついてるかついてないかで成果が違います。継続的に買ってくれる上客がいる以上、「売れる」状況が続くわけですから。
だから、パートナーとして成功するかしないかもマネージャー時代の運次第とも言えます。

――― では、パートナーとして成功を収めることができなければ、そこで出ざるを得ない状況に追い込まれる方もいるわけですよね。そういう方はどんな道に進まれるんですか?
齋藤:
アカデミック方面に進まれる方が多いです。大学の客員教授とか、ビジネススクールの講師とか。実業、実務を経験せずにずっとコンサル業界で年齢を重ね、パートナーになった人は行き場が限られるのも事実なんですよね。

30代のうちに事業会社に行け!
泥をかぶる経験がその後の選択肢を広げる。

齋藤廣達氏2

――― ここまでお話を伺って、コンサルタントのキャリア設計が厳しいことがよくわかってきました。では、コンサルタントが先ほどのような「上がりポジション」で苦労しないためにはどうしたらいいんでしょうか。
齋藤:
コンサルタントが事業会社に行って一番苦労するのは、実務がわからないことなんです。例えばコンサル会社でマネージャー、シニアマネージャーなどを経験していれば本人は「マネジメントできる」と思っている。でも、実際には戦略は描けるけど実務は一切やったことないわけですから。
コンサルタントは、実は4、5年もすればコンサルタントとしてそれ以上に新しく得られる経験やスキルがほとんどないんです。①プロジェクトを回せる、②専門とするフィールドができる、③プロジェクトを売れる、でコンサルタントとしては完成形。
あくまでも「会社を回せる」ではなく「プロジェクトを回せる」なんです。
だから、外に出てみたけど現場がわからない。つらい。結果、コンサルに出戻りというパターンもあります。

――― 外に出るタイミングというか、期限、というんでしょうか。いつまでに決断した方がいいというのはありますか?
齋藤:
例えば40歳過ぎてコンサル会社にいれば少なくともマネージャーくらいにはなっているわけで、そこからだと役員クラスで他の会社に入ったりするんですけど、そこでわからないことがあってもプライドと立場が邪魔して聞くことができない。
だからすごく苦労します。
もし40過ぎた頃に事業会社の経営をしていたいと思うのであれば、それ以前に現場を経験している必要が絶対的にあるということです。

――― そこで齋藤さんがくじけなかったのはやっぱり最初に事業会社での経験があったからでしょうか?
齋藤:
いや、僕の場合純粋に「年齢」だと思います。
同じ状況でも30代半ばであれば、わからなければ聞けるんです。僕の場合はこういう性格(笑)ですからなおさら。「実は何もわからないんですー教えてくださいー」って素直に、おちゃらけた感じで言える。
ただ、おちゃらけた感じだけじゃもちろんダメなので、いざというときは真面目な顔ですごくもっともらしいことを言ったりして乗り切ってきました(笑)。

――― それはもう、齋藤さんならではですね(笑)。
齋藤:
いや、僕も場合は単にノリが軽いだけあまり参考にならないかも。すごい奴は本当にすごいですから。コンサルタントの中にも10人に1人くらい、何をやらせてもできる人っていうのはいるんですよ。優秀なのはもちろんのこと、「愛されキャラ」というか、「この人のためなら頑張りたい」「この人が言うなら手伝ってあげたい」とごく自然に思わせてしまう人。

――― 逆にそういう人はパートナーになっても「売れるパートナー」になるんでしょうね。
齋藤:
そうそう。で、起業もできるし事業会社に行ってもやっていける。
でも、そうでなければ外に出るときの「年齢」は超重要。

――― 年齢的に、いつ頃が外に出る適齢期なんでしょうか。
齋藤:
マネージャークラスにもなると結構稼いでいるので、その時点で事業会社に行くと給料が半分くらいになることもあります。だから結局コンサルtoコンサルになりがちなんですけど、最終的に事業会社に行きたいという意向があるのであればどんなに遅くとも35歳前後くらいまでの間に一回「泥をかぶる」経験が必要だと思います。
「泥をかぶる」っていうのはつまり、事業会社に飛び込んで苦労してでも実務を経験すること。
その段階を踏むことで、40代でコンサルに戻ってももちろんいいわけですし、事業会社の経営にも進める。選択肢が広がるんです。

――― ただ、事業会社に行くとなると収入面の問題が大きいんじゃないでしょうか。下がる人は結構下がるでしょうし、家族のしがらみもあったりしてなかなか動けない人もいそうですよね。
齋藤:
個人的には、給料が下がる分は将来に向けた投資と考えればいいと思ってます。
事業会社に入って泥をかぶる経験は、ビジネススクールに通ってるものだと思って、給料が下がった分がその受講料。
先ほどの「35歳前後くらいまでの間に一度泥をかぶる経験が必要」という話はつまり、30代のうちにビジネススクール、それも現場でリアルなビジネスを学べるスクールに行け!ということです。

――― 実務経験をつけるために事業会社に飛び込む=ビジネススクールに行くものと考えるのはすごく納得感ありますね。でも、皆が齋藤さんのように踏み切れるものでしょうか。
齋藤:
あくまでもビジネススクールですから、例えば3年間と期間を区切って、目標を成し遂げられなかったら戻るという割り切った選択もあると思うんです。
特に、コンサルは一度出たら二度と戻れないという業界でもないですし。

――― なるほど!更に納得です。「ビジネススクール」ですもんね。
ちなみにもっと若い層・・・例えば1社目でコンサル業界に入った方なんかはどうでしょうか。

齋藤:
僕は1社目がコンサルっていうのも悪くないと思うんです。
なぜなら、後々の年齢の問題があるから。
コンサルに3、4年間いてビジネスのことやコンサル特有のロジカルシンキング・仮説思考を学び、それから出てもまだ26、27歳くらいなわけですよね。
先ほどの年齢の話ではないですが、そこから一回外に出ようと思えば、年収もそんなに周りと比べても変わらないし、その時点でならまだ泥をかぶることは体面的にも自分的にも許せるんじゃないでしょうか。

コンサル業界の横のつながり。
中でも出てからも「仲間」でいられることの強さ

――― 最後に、事業会社の役員・経営陣クラスへのオファーをもらいたいときにコンサルタントの方はどのように動かれるんでしょうか。エージェントなども利用されますか?
齋藤:
エージェントも全くなくはないですが、エージェントとしてはコンサルtoコンサルが一番はめこみやすいので外に出たいっていうケースのサポートにはあまりならないのが実状です。
実例として一番多いのはコンサル時代の人脈のどこかから声がかかることですね。お客さんが事業会社を紹介してくれたり。僕もボストンコンサルティング時代のお客様から声をかけられたのがきっかけでした。
だから、そういう案件を捕まえるためにアンテナを目いっぱい張っておくことです。
同じように、事業会社に深く食い込んでいるようなエージェントは早いうちから確保しておくべきですね。

――― コンサル会社は横のつながりというか、人脈を通じた動きが多いんですね。
齋藤:
そうなんです。
僕も個人コンサルとして独立した当初は、BCG時代の仲間から仕事を紹介してもらってたんですよ。
コンサルのいいところは、仲間意識が強いところ。コンサルっていいなって思える場面がたくさんあります。会社にいる間よりも出てからの方が仲良かったりもしますね、全然知らない先輩や後輩とも会って話ができたり人脈が広がったり。
中でもBCGは特にその結びつきが強いです。ある意味、選民意識のようなもので「BCGにいた」というプライドが仲間意識を高めている気がします。
でも、そういう仲間意識があるからこそ、コンサルにいることは損しないし、出ても損しないんです。
外に出たときにお金の面とプライドの面で耐えられるかどうかってところですね。

――― よくわかりました。本日はありがとうございました。


いかがでしたか。

コンサルタントのキャリアを考えるにあたって、非常に有益なアドバイスをいただくことができたのではないでしょうか。