ロジカルシンキングの第0歩〜結論を出さない力

マネジメントに論理思考は欠かせません。

この事実に対して、内心では半信半疑の人も多いように思います。

以下のように、マネージャーがロジカルでないことによる症状を考えることで、その必要性がクリアになります。

  • 置かれている状況を論理的に理解できれば、自説が間違っていた場合にも消去法で正解に近づいていける。ロジカルでないマネージャーは活動がすべて思いつきになり、同じ失敗を繰り返して疲弊する
  • 会社やチームの全体と部分の関係を理解できるロジカルさがあれば優先順位も的確に決まる。ロジカルでない人は、往々にして優先順位を誤るため努力が結果にむすびつかない
  • ロジカルなマネージャーはコミュニケーションも一貫しているため、関係部署や部下からみて言動が予測できる。ロジカルでない人物は何を考えているかが分からないため敬遠され、使える人的資源が減る
  • 論理思考が身についていれば、一部の問題が発生した場合に他の仕事やチームの活動の矛盾に気づける。ロジカルシンキングができない人は「たまたま問題が起こった」という見え方になるため、初動が遅れて被害が拡大する

このように、どれほど花形プレーヤーとして活躍していた人であっても、論理思考が育たないままでいると絵に描いたような”ヤバいマネージャー”になってしまうのです。

ロジカルシンキングはなぜ難しいのか?

結論からいうと、ロジカルシンキングが難しいのは単に練習不足です。

フレームワークもいくつかありますが、実はロジックツリーを真面目に実戦投入して使っていけば上達するのです。

つまり、ロジカルシンキングが上達しない本当のボトルネックは “そもそも第一歩を踏み出せていない” ことにあります。

そこで今回の話題は、その第ゼロ歩「論理思考への態度」を取り上げます。

これまでの僕の観察によると、論理思考の対義語は「短絡思考」です。

ロジカルの反対はエモーショナル(感情的)ではないかと思うかもしれませんが、論理と感情は完全に両立するので別次元です。

マーシャルという経済学者は “cool heads but warm hearts” であれと言っています。

短絡思考とは、「物ごとをシンプルに見たい。思考を節約したい」という考え方のことで、驚くほど普遍的な態度です。

短絡思考は世の中の多数派なので、意識的に脱却を心がけないと、問題意識に上がることすらなく、とても自然な態度として一生を終えることになります。

なぜそうなのかは僕も不思議に思っているのですが、脳は一番エネルギー消費量の多い器官なので、使うことで生命の危機を感じるようできているのかもしれません。

“結論を出さない力” が必要

「シンプルに考えればうまく行く」というフレーズはとても人気があります。

もしそうなら誰にとっても都合が良いからです。

ただ、じっさいには現実は複雑です。

それは、以下のような力学が働いているからです。

  • マーケットが一枚岩にはなっていない。客層がセグメントに分かれているほか、各顧客の中の購買理由・買わない理由も1つではない
  • シンプルな競争環境はおおむね先行者にとり尽くされている
  • 何かに失敗したときの結果が、明確に失敗だと分からないことが多い。何も起こらない、という状況は順調に進んでいるように見える
  • 企業活動そのものが複雑。チーム関係者が増えるほど実行することじたいの複雑性が増す
  • 不測の事態は思ったよりもよく起きる

短絡思考の問題は、複雑な現実の一面だけを見ようとして状況の理解がズレる、というかたちをとって表れます。

(短絡思考による具体的な弊害のパターンについては、 状況判断力を高める論理学の初歩 で解説しています)

成功の大前提として一番重要な原則は「結論が少数のパターンに収束するとは限らない」ということです。

副島と僕が共通して持っている特徴的な状況認識のパターンとして「”解ナシ”をつねに意識している」という点があります。

解ナシとは、現状の状況・資源・施策を進めていくと、少数の結果パターンに収束することなく不定の結果になるだろう、と見ることです。

論理的に考えていくと解が発散することがある、というのは重要な着眼点だと思います。

このようなケースでは、自分たちが努力しても結果をコントロールできないのだから別の考え方をしなければならない、という結論になります。つまり考え直しです。僕らはつねにリフレーミングしています。経営努力です。

このように中途半端な状態は、心情的にはかなり気持ち悪いかもしれません。

ある意味で”結論を出さない力”が必要なのです。

正解を求める思考が見落としを呼び込む

正解を知りたがる態度も短絡思考のひとつです。

正解を追求することは一見かしこい態度に見えるのですが、”正解”というのは1つまたは少数に収束するパターンを指しているため、前述のとおり多くの場合、現実のゴールには到達できません。

現実は複雑なのです。

ある程度パターンが発散している状況で正解を探すことは、実は思ったよりも危険です。

思いつきを”正解”だと思い込み、本来の構造を十分探索することなく思考を打ち切る挙動になりがちなため、検討しているケースに漏れや見落としが生じやすくなります。

また逆に、そこに正解がないように見えてしまうと、今度は何の手も打てなくなる症状も併発しがちです。

人間は生きているだけでコストがかかるため、不作為は着実に自らのクビを締めていきます。

グルーピングがロジカルシンキングの最初歩

すべての論理思考は、複数の要素を構造化することで解くスキルです。

ロジックツリーを作れると良いとは思いますが、ロジックツリーの前段階としてボトムアップのグルーピングを繰り返すだけでも練習になります。

これは一番具体的な要素、たとえば表面的に起こっている事象を思いつく限り書き出してみて、グループ分けをするだけのことです。

ポイントは、要素を書き出すことです。

最初から頭の中でやろうとすると脳の短期記憶領域を使い果して、最初の項目から順に忘れてしまいます。

こうなると構造化ができません。

計算スキルにたとえるなら、そろばん→暗算の順に学ぶのが上達のポイントであって、最初から暗算してはいけないのです。

そして、まがりなりにもできあがった図を眺めて、いくつかのとりうる可能性が浮かび上がってくればそれが論理思考のタネです。

また、そのそれぞれの局面に対応策が思いつけば、それが戦略思考のタネです。戦略とは手段の選択肢をリストアップすることです。

おそらく、このような手順で物ごとを考えているうちに、脳のワーキングメモリが増えてくると思います。

これが「論理思考ができないのは練習不足である」ということの理由です。