もう1つのロジカルシンキング上達法

ロジカルシンキングを身につけるためのワークとして、ロジックツリーの練習を提案しています。

ロジックツリーをアウトプットするには、自らの頭を使わざるを得ないこと(考え始めなければいつまで経っても白紙のままです)、ごまかしが効かないことから、本線のスキルアップはロジックツリーをたくさん作ることが良いと考えています。

あともう1つ別の練習として、他の人のロジックを吸収する手があります。

具体的には、ロジック構成のしっかりした本を読むことが効果的です。ページ数の多いハードカバー本で、硬派な印象を受ける本に着目すると良いでしょう。

100回読めば賢くなる、という手法

「読書百遍、意おのずから通ず」という格言を聞いたことがありますか?

意味の分からない難しい本も100回読むと自然に意味が分かるようになる、というマジカルな主張です。

魏の時代までさかのぼると「読書千遍」と言っていたようです。古人はたいがいエクストリームですが「どうせサボる」ということで割り増して伝えていたのかもしれません。

この教えも今となっては、かえりみられることも無くなってしまいましたが、実は不朽のメソッドです。

よく観察してみれば、賢い人は例外なく「分かるまで読んでいる」のです。

少し考えれば分かることですが、何も知らない子供が賢者に成長するとき、はじめて知る事柄をどのように獲得するのでしょうか?

それまでに見聞きしたこと・教えてもらったことから想像する、という上達効果もありますが、限定的です。

「自ずから意通ず」の効果もなければ新しい知識をどんどん得ることは難しいでしょう。

そう考えれば、読書百遍やっているのか/いないのかで思考グレードに差がついている、という見方は自然です。

なぜ意味が自然に立ち現れるのか?

結論的に言うと、このメソッドでは以下の段階を経て「分かる」「意自ずから通ず」になります。

  1. 筆者の頭の中には本のテーマに関するロジックがある。このロジックはツリーになっている
  2. 本は文字を一列に並べたものなので、情報もツリー状ではなく1次元になる
  3. 読者は文字の羅列を1ページ目から順に読む。最初は構造を把握できないので理解できない
  4. 章や節のまとまりで相互に説明しあっていることに気づくと、筆者の頭にあったツリー構造を読者も獲得する

前半は著者の努力、後半は読者の努力です。

本というメディアは文字を1列にずらずらと書き並べるスタイルであるため、最後の段階で読者が構造を復元する必要があります。

未知の物ごとであっても、頭の中にツリー構造が再現されて各要素(章・節の解説)間の関係がつかめれば、自明(self-descriptive、外部情報に頼らずに部分が全体を説明する)な状態になるのです。

「読書百遍」は、単に100回読むという読者の努力(後半プロセス)だけでなく、100回読むに値する良い本、つまり著者の編集努力(前半)にも光を当てます。

そもそも筆者の構想にロジックがあること、そして木の羅列から森を想像させる編集が加えられていること、この2点が良い本の条件です。

このような条件に当てはまる本は、定評のあるハードカバー書籍に多く存在しています。奥付をみて版数を重ねていること、目次をみて身近な話題でないことを確認するとヒントを得られるでしょう。

語っている主題がいかに難解だとしても、そもそも構造が存在している状態であれば、読者が再構築さえできれば獲得できます。

ロジックツリーを自ら描いてみるアプローチとの一番の違いは、筆者の言おうとしていることをただ解釈すれば良く、他の可能性を探る必要がない、という点です。

心理的な圧力は大きいですが、迷走を避けて着実に前進できるという点で優れた方法論といえます。

まとめ

ロジカル思考を強化するもっとも身近な方法として「読書百遍」という古典的なトレーニングの有効性を力説しました。

放送→インターネットとメディアが進化しているのに人々の思考力が進化していないのは、理解するプロセスに問題があるからだということが分かります。

情報の伝達のイメージとして、高いところから低いところに水が流れるように「上手に教えてもらえさえすれば理解できる」と考えるのは根本的な誤解なのです。

成長したい人がみずから頭の中でロジックを構成する、という作業が”分かる”のコアになっているという構造が重要です。

それ以外の過程で得た情報は、分かった気になっている事がらに過ぎず、それによって生まれるのは単なる耳年増です。

一般化していえば、低エントロピーな情報(他の事象と混ざらない厳密な記述)のネットワークさえ構築できれば「意自ずから通ず」を獲得でき、それをロジックと呼ぶということです。